研究者ストーリー
Story幾何学で「離散」を考える時、
常にその極限には連続の像がある
開拓研究所所長小谷 元子 Motoko Kotani
宇宙のすべては“数学の言葉”で書かれている
バラバラな状態、すなわち離散的な構造を対象とする離散幾何解析の理論と、結晶格子の研究や物質科学につながる研究を進める小谷元子。2005年には自然科学の分野で顕著な研究業績を挙げた女性科学者に贈られる「猿橋賞」の第25回受賞者に選ばれた。純粋数学の領域に止まらず、材料科学など諸科学との連携、さらには国の科学技術政策の策定にもかかわる。理研では基礎・応用に捉われず、挑戦的な研究開発に取り組む開拓研究所の所長を務める。その研究者としての歩みを辿る。
私は子供の時から、将来は研究者になりたいと漠然と考えていて、なかでも宇宙の根幹にかかわる数学をやりたいと思っていました。中高校生の時は、先生に対して疑問に思ったことをどんどん質問するような生徒でした。そうしたなか、生徒がきちんと問いを立てさえすれば、それが正しいか間違っているかを論理的に、しかも対等な立場で議論してくれるのが数学の先生でした。観察や実験に寄らず、人間の思考によって構築される数学という学問の性質だからこそできたのだと思います。
宇宙のすべてを書いた本があるとしたら、それは「数学の言葉で書かれている」と言われるように、数学は科学の共通言語。私たちが住んでいる自然界および社会の現象を理解するために、数学はその根本原理を問う学問です。どうせ一度きりしかない人生なら、その根幹にかかわりたいと思っていたのです。
数学は、大きく純粋数学と応用数学に分けられますが、純粋数学には、代数、幾何、解析などの領域があります。さらに幾何には、“柔らかい幾何”と言われるトポロジーと、“硬い幾何”と言われる微分幾何学があります。トポロジーは大域的な見方を、微分幾何は局所的な情報から精密に図形を調べる学問とも言われますが、重要なのはこの2つの関わりを明らかにすることです。
私は大学院修士課程の時から、微分幾何学の研究に、解析学の技術を応用する幾何解析という分野を専門にしてきました。モノの形を研究するにあたって、それがどういう形をしているのか、どういう動きをしているのかを微分方程式を使って記述するものです。
例えば、平たい金属の板があったとして、どこかに熱源を置いたら、その熱が板を伝わって拡散していきます。もしもその板が平面ではなく曲がった形をしたら、熱の広がり方はまた違ったものになるでしょう。板の形状と熱の拡散は関係している。逆に言えば、熱の分布を見ることによって、つまり微分方程式の解を調べることによって、もとの図形の形を理解することができる――それが幾何解析です。
幾何解析の基本的な対象に、石鹼膜があります。ワイヤーで輪を作ってそれを石鹸水に浸し、持ち上げると石鹸膜が張ります。どういうふうに膜が張っているかを見ると、表面積が最も小さい状態で安定していることがわかります。ワイヤーでどんな複雑な形を作っても、自然は立ちどころにそれを張る最も面積が小さい面を見つけ出す。それが自然の節理で、このような曲面を数学的に定式化したものが「極小曲面」と呼ばれ、数式で表すことができます。
蜂の巣や雪の結晶、水滴、波紋のように、美しい対称性を持つ形は自然界に数多く存在します。しかし自然界が目指しているのは、必ずしも対称性そのものではありません。むしろ、系全体のエネルギーが最も小さくなる状態――エネルギー極小の形が選ばれているにすぎないのです。それにもかかわらず、結果として対称性の高い形が現れるのはなぜなのか。さらに、そうした形を目にしたとき、私たちはなぜ「安定している」「調和がとれている」と感じるのでしょうか。
この問いに対し、数学の立場から見ると、エネルギー極小の状態は「調和写像」と呼ばれる数式によって記述することができます。私の研究は、この調和写像の解がどのような対称性や幾何的性質を持つのかを、数学的に明らかにすることでした。
調和写像をはじめとする幾何学的対象を数式として扱うためには、局所的な座標系を導入する必要があります。そのように、局所的にはユークリッド空間のように記述でき、全体として滑らかな構造をもつ図形は「多様体」と呼ばれます。私の1990年代までの研究テーマは、自然界に現れる形の背後にある構造を抽象化した数学的対象として、多様体上の調和写像の性質――特にその解の対称性や幾何的特徴――を明らかにすることにありました。
滑らかではない形にも隠れた曲面がある。離散幾何解析の誕生へ
多様体に座標を与える作業は、地球上の地図を作る作業に似ている。地図の上の点は地球上の点に対応し、さらに緯線や経線は地図に描いてある地域の座標を与え、そのあたりの様子を調べることを可能にする。座標のない地球上の様子は、人間が作った“座標のある地図”と対応させることによって、詳しく調べることができる。しかし、座標を描くことが難しい構造の図形や物質もある。そこに幾何学の光をあてることが、小谷の次の課題になった。
多様体を基礎とした幾何学が20世紀後半に大きく発展し、滑らかな図形の上での幾何解析はかなり深いところまでわかるようになりました。それを踏まえ、世紀末に向かう頃には、世界的な数学界の関心は「離散」という対象に広がっていきます。
それまでの幾何解析では、座標が入る滑らかな図形を扱ってきました。しかし、滑らかではない、「尖った部分や特異点があるような――要するに微分方程式が書けないような――図形、もしくは離散的なものの上でも幾何解析ができないか」という関心が、2000年前後に生まれてきたのです。こうした幾何解析の離散版を進める動きのなかに、離散幾何解析学はあります。
1993~94年に、ドイツのマックス・プランク研究所、2001年にはフランス高等科学研究所(IHES)に滞在研究員として過ごす機会があり、そこで世界の研究者から刺激を受けるとともに、これまでの自分の研究に新たな次元を加えることを強く意識しました。特にIHESでは、2000年ごろから砂田利一氏(東北大名誉教授)と一緒に始めた“離散幾何解析の構築”に取り組みました。
砂田先生とは、ランダム・ウォークの長時間挙動に幾何学的な構造がどのように関係するかという問題を研究しました。ランダム・ウォークは、一歩ごとにランダムに進む方向が決まる気まぐれな運動です。一見、いい加減に見えますが、しかし、長時間のうちにその空間の大域的な性質を偏りなく拾い集めることになります。
私は、砂田先生の問いに応えて、離散空間上のランダム・ウォークの長時間挙動に現れる幾何量を求めることに夢中になりました。修士課程からずっとやってきた調和写像の研究が活かせる形で解決できてすごく嬉しかった記憶があります。
現在の私は、幾何解析の離散版である離散幾何解析を単に幾何学の形式的離散版であるだけではなく、離散的な対象の極限が対応する連続的な対象につながっていくようなものを作りたいと考えています。
例えば、曲面があってその上に網をかけるとします。網の部分が、曲面の離散化です。離散図形は面を忘れ、網の部分だけを考えるのですが、曲面を離散図形で近似しようと思うと、ちょうど曲面に網がけしたようになります。その網が細かくなればなるほど元の曲面に近づき、究極として、元の曲面に至る。逆に曲面がなく、離散的な図形だけが与えられた時に、その離散化が、この離散図解となる曲面を見出したい。離散的なものの背後に隠れた曲面があるのだとすれば、それを見つける数学的な手法を開発したいということです。離散的なデータから、どうやって隠れた連続的なものを取り出すかを考えるのが、離散幾何解析学なのです。
離散幾何解析学という新しい領域は、多くの研究者に興味を持ってもらえました。例えば、フランスからの帰国直後に、広中平祐先生が立ち上げた数理科学振興会の第一回目の国際研究集会を幾何解析をテーマにしてを開催する機会をいただきました。
日本数学会の季期研究所という国際研究集会シリーズがあるのですが、その第一回のテーマに「幾何と確率論の出会い」が取り上げられ、組織委員長に指名されました。どちらも、まだ離散幾何解析とはどういう研究をするのかよく分からない時期に、関係しそうな研究者を世界中から集めて、徹底的に議論しようとするものでした。
新しい分野を開拓していきそうな“芽”があったら、まだ枝も葉もでていない段階で、そこに関心を持つ人たちを一堂に集め、とことん議論していくことが数学の世界では有効です。その議論を通してスコープが広がり、同時に一つの領域として次第に収束していく――これはとてもエキサイティングな体験です。
離散と連続をつなぐことで、材料科学との協業が生まれた
純粋数学の一つの領域である幾何、そのなかでも新しい領域が「離散幾何解析」だ。その面白さにとらわれた小谷だが、数学の世界のなかに閉じた美しさを追求するだけではなかった。ほかの領域と連携することで、もっと面白いことができると、関心を縦横に広げるようになる。
私は教員として学内の様々な委員会にも参加します。会議の合間に、隣の席に座った人とおしゃべりをして、「何を研究なさっているのですか」と尋ねると、非常に高い確率で材料科学の人に行き当たりました。これは、東北大ならではですね。
そこで知り合いになってお話ししていると、私たちが数学で研究していることと、材料の研究者の関心が合致することがよくありました。「最先端の数学の知識が、ほかの研究領域から意外と求められている」と、気づいたのです。
ちょうどその頃、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)の領域の一つに、数学と諸分野の協働が設定されることになりました。それまで、JSTで数学が領域として採り上げられることはありませんでした。私は“ほかの科学分野からの数学への期待の表れ”と感じ、その期待に応えようと、「離散幾何学から提案する新物質創成と物性発現の解明」という研究課題を提案しました。それが、幸運にも採択されることになりました。
材料科学は物質の機能に着目した研究ですが、物質を階層的なネットワークと捉え、その階層間の関係を解明できれば、狙った機能を持つ材料を、どのような構造で実現すべきものかの指針になります。異なる階層をつなげるという考え方は、離散的なオブジェクトを連続的なものと関係づけていくという、私の離散幾何解析の重要なテーマでした。まさに数学の出番ではないかと思ったのです。
私たちが扱う物質は、原子でできています。今日、原子や分子が観察でき、それらを操作して物質を作りだすことができます。原子を“離散”、私たちが手に触れる物質は“連続”と考えると、離散幾何の役割が見えてきます。私は、そこに挑戦したのです。
ここで、離散幾何学と材料学をつなぐ課題に取り組んだことが、2007年に東北大の世界トップレベル拠点形成プログラム(WPI)の一環として設立された、材料科学高等研究所(AIMR)に招かれるきっかけとなりました。周りは、国内外から集った材料科学、金属工学、物理学、化学、生命科学など様々な分野のトップレベルの研究者ばかりでした。それらの異なる分野の研究者が一つの研究所に集まり、分野を超えて、“新しい材料科学の創出”を行うことを目的として設立された研究所です。
数学は科学の共通言語ですから、“異なる分野間の通訳”の役割を果たすことができます。また、AIやデータ解析といった情報科学の手法を応用し、新素材の探索を高速化・効率化するマテリアルインフォマティクスの潮流もあり、「材料科学の研究所だけれども、数学者がリードする」ということになり、2012年に拠点長に就任しました。
理研の開拓スピリットを発展させるための仕組みづくり
小谷は、2016年に理研アドバイザリー・カウンシル(RAC)のメンバーを、2017年から2020年までは理研の理事も務めている。2018年からは数理創造プログラム(iTHEMS)の客員主管研究員、2024年からは数学応用研究チームのチームディレクターなどとして、理研にかかわってきた。2025年4月からは、領域総括(開拓領域)、および開拓研究所の所長も務めている。小谷は、理研が持つ開拓スピリットを、これからどのように発展させていこうとしているのか――。
理研スピリットとは「野心的で独創的な研究しかしない、ほかでも研究できたり、お金や時間をかければできる研究はやらない」という考え方であり、それを体現しているのが開拓研究所主任研究員なのです。
現代の科学研究は、かつてと比べれば人員、予算、設備も大掛かりになっています。一人の研究者が個人で進める範囲には限度があり、他の研究者とつながらないと大きな研究は進まない。しかし、個々の研究者が、自らの好奇心によって研究を深掘りすることがすべての源であることは変わらない。異なる個が集まり、野心的なアイデアを交換し、新しいものを産み出していく土壌が必要です。小さなクラスターが生まれ、やがては一つの研究分野に成長していく――開拓研究所は、そのような役割を担っています。
理想社会をつくるために科学は何をすべきか。
以前は、数学者といえば“数学のなかに閉じた人たち”と見られていたが、数学の知見で諸分野を覚醒化させたり、「経済効果を上げる価値があるのではないか」など、その見方が大きく変わりつつある。小谷は総合科学技術・イノベーション会議(CSTI。旧:総合科学技術会議)委員として、科学技術基本計画策定への関与経験もある。
私は、第4期基本計画(2011~2015年度)が走っている最中にCSTIの委員になって、第5期(2016~2020年度)と第6期(2021〜2025年度)の基本計画策定にかかわりました。第4期までは、「科学技術を推進するため」という関心だったものが、第5期は大きな発想転換がありました。人類にとってよりよい社会の実現のために科学技術はどう発展させなければならないのか」という観点で計画が策定されました。
もちろん、私たち科学者にとって科学技術の発展は自明の理ですが、それは本当に日本にとって大切なことなのか。経済を発展させるというだけでなく、人間が幸せに生きていく社会をつくるためには何が必要なのかというところから考えるようになったのです。第5期基本計画では、「Society5.0」という考え方を盛り込んでいます。
デジタル化やAIを発展させることが、はたして人間にとって良いことなのかどうか――そういった議論が巻き起こりました。科学技術が社会でどう使われていくかを考えるためには、「私たちにとって理想の社会とは何か」を考えなければなりません。人間にとっては、身体的、精神的、社会的に満たされた幸福な状態=ウェルビーイングが重要で、それが実現できる社会にしよう――そのための科学技術という考え方は、今後も重要であることは間違いありません。